春馬くん、ありがとう! ~三浦春馬さんの足跡から学ぶ~

三浦春馬さんの足跡を辿ることを通じて、人生における大切なことを学んでまいります

今、再び、春馬さんへの想いを綴る

PexelsによるPixabayからの画像

来月で春馬さんが旅立たれてまる2年になる。今一度、改めて、「表現者」さんとしての春馬さんについて、わたくしなりに思うところのことを書いてみたい。

 

春馬さんが旅立たれてから、彼に対する賞賛の声をネット上でも沢山見かけた。
それは今もわたくし達、彼のファンの間では当然続いていることだが、彼が旅立ってすぐ、そして暫(しばら)くの間は、本当に多くの、同じ業界の方々から、「惜しいひとを亡くした」といったコメントや、「彼は間違いなく日本から世界へと羽ばたいてゆけるだけの人財だった」、といったような言葉が聞かれた。
他にも、俳優や歌手として春馬さんのみならず、彼の人間性の素晴らしさに沢山の方々が言及していたことも、いかにも彼らしい現象だったと今、改めて、ここに思う。

 

わたくしは彼のいちファンに過ぎない。
だから、彼の俳優や歌手としての活動を、ファンとしてではなく、客観的かつ冷静的に見る目を持ち合わせていない。
なぜなら、わたくしにとって彼はーー例えて言うなら、(お母さまには大変失礼ながら、そして、大変僭越ながら)愛すべき息子のような存在であり、これからもずっと彼が遺してくれたものを大切にしてゆきたいと心から思っているので。
そんな人間が彼の仕事に対する客観的な目を持ち合わせているとは到底思えない。
それ以前に、わたくしは芸能関係に詳しいわけでもなく、ましてや、その評論家でもない。
だから、彼が遺してくれた作品や活動の全てに対して、客観的かつ的確な評価は出来ないと自認している。

 

しかし、そうした「マイナス面」を差っ引いても、やはり彼が本当に素晴らしいエンターテイナーのおひとりだったことは、もはや疑うまでもないことだろう。
なぜなら、本当に多くの方々が俳優としての彼を、歌手としての彼を、そして、表現者としての彼を高く評価なさっておられたから。
エンターテイナーとしての彼が素晴らしかったのはここで改めてわたくしが述べるまでもないことであり、また、彼が志向されていたもの、そして、そこに向かうためのとんでもない努力が、到底、常人には及ばないものであったろうことも想像に難くない。


彼はまさに30年の人生を懸命に駆け抜けてゆかれたのだ。
精一杯、一生懸命、自らが持ちうる限りの全てを使って生き切られたのだ。
わたくしは心からそう信じている。
だからこそ、この稀代のエンターテイナーである春馬さんに対して永遠の拍手を送り続けたいと心から、本当に心から、強く強く思う一方なのだ。

 

彼は本当に愛情の深い、優しい優しいひとだったと聞く。
つねにおひとのことを思いやり、自分の周囲の方々が困っておられないか、落ち込んでいらっしゃらないか等、様々にあたたかな心配りが出来るかたであった。


人懐っこくて明るくて、彼の大好きな向日葵(ひまわり)のお花そのもののようなかたでもあった。
その一方、内面はとても繊細で、深く考えてしまう傾向も多々お持ちだったのだろう。

これはあくまでも想像だが、もしかしたら、外でのご自分と、本当のご自分=春馬さんだけが知っておられたご自身とのギャップに行き詰まってしまわれて、あのような選択をされたのかもしれない。

けれど、わたくしの中に今も存在し続けてくださる彼は、いつもあの「三日月のようなお目々」で屈託なく笑う、明るい春馬さんであり、そのお姿こそが彼が本来持つ輝きをわたくし達に見せていてくださったのだと心から信じたい。

だからこそ余計に、彼の最後とされている状況とのギャップに未だくるしまざるを得ないのだ。

 

しかし、何があろうと、どんな経緯がそこにあったにせよ、彼がもうこの世のかたではないことは未来永劫、覆せないことだ。
ここのところ、彼のファンの方々の間においても様々な考えや姿勢があることを改めて思い知ることとなり、彼を想う自分を自由に表現出来てこなかった。

TwitterInstagram でも、彼のファンの方々と出来るだけかかわりを持つことを避けるために拙い英語で文章を綴ってきたりもした。

 

けど、彼を想うファンの方々の中で、たとえ、わたくしとは違う、彼への思いやある種の「義務感」を持っていらっしゃる方々がいらっしゃろうと、結局、皆さま、根底にあるのは彼への思慕の念であり、彼が大好きで、彼のような本当に素晴らしいかたをいつまでも忘れたくない、これからも彼と日々を共に重ねてゆきたいという、切なくもあたたかな、彼への愛情がおありなのだとわたくしは信じたい。
ならば、そこにフォーカスしてゆけばよいのでは? と今、改めて思う。

その他、様々に垣間見える、彼の最期について、報道されている内容をどのようにとらえるか、といった視点の違いや、彼の何の、どこに重きを置いて惹かれるのかという点において違いがあっても、それは致し方ないことなのだ。
なぜなら、ひとは皆、違うのだし、それぞれにそれぞれの在り方で彼を愛しているのだから。


そこに強烈な違和感を感じ、失望さえ感じていたわたくしだったが、でも、皆が皆「三浦春馬さんが好き」という思いだけは変わらないのだから、そこのところにこれからはあたたかな想いを寄せてゆけたら、と思っている。

 

でも、ひとつだけ我儘(わがまま)を言うことをお許しいただけるのなら、たとえ彼がもうこの世にいらっしゃらないのだとしても、彼を想うファンとしての在り方に己のエゴを異常なまでに拡大させるのは、わたくしはやはり違うと思う。

勿論、ファンそれぞれがそれぞれの「枠組み」や「物事の味方、とらまえ方」を持って、彼への思いを抱き、彼のファンとして存在しているのだろうが、そこにあたたかな愛や優しさがなければ、わたくしにはやはりきついものがある。

誰かや何かを恨んだり、批判したり、非難することは、彼の性格からして、きっと喜ぶべきもの・ことではないだろう。
だから、わたくしはこれからもただひたすらに春馬さんを讃え、彼にあたたかな想いを、祈りを送り続けてゆこうと思っている。
それこそがまさに、今もこの世で生きているわたくし達が彼に対して出来る最上のことだと信じて止まない。

 

10代の、まだ本格的に芸能界で活躍される前の彼は、純朴で、おっとりして、穏やかな、本当に「いい少年」だったのだろう。
茨城の自然豊かな環境でお育ちになられた彼があれよあれよという間に芸能界というきらびやかな世界で磨かれ、素晴らしい美形の俳優であり表現者である「三浦春馬さん」に成長してゆかれたことは本当に素晴らしいことだったが、最後まで「茨城の自然豊かな環境で育ったのびのび春ちゃん」が彼の中にもずっと残っていたであろうことは想像に難くない。


だからこそ、彼はいつも本当にどなたにでも優しかったようだし、何よりも、彼の瞳の輝きに、そのひとのよさがいつも表れていた。
だからこそ、わたくしは彼のファンになったのである。

 

今もこうしてーーこの記事を書いているこの瞬間にさえ、彼が生きていてくれた尊くも貴重な30年間の人生がどんどん過去になっていってしまっているが、わたくしは彼のことだけは何があっても後世に語り継いでゆかなければ、と使命感にも似たものを強く感じている。

これもまたひとりの勝手なエゴなのかもしれないが、それせずして、生前の彼に賞賛を送ってこられなかった自分の後悔を少しも減らすことは出来ないと思っている。

 

彼のことを世間さまは、その最期のご状況によって、どうしても「悲劇のひと」として理解してしまいがちなのだろう。
しかし、彼をよく知る方々をはじめ、わたくし達ファンは、あのとんでもなくキュートな笑顔で明るく高らかに笑う彼の姿を嫌と言うほど見てきているし、そんな彼が大好きだ。

だからこそ、彼の素晴らしい人柄や、「崇高」といった言葉さえ匹敵するほどの素晴らしい向上心、人々への深い愛情や思いやり、そして、ものすごい努力の数々、そして、その結果遺された作品の全てをこれからも大切に守り、後世へと語り継いでゆかなければならないとわたくしは強く強く思っているし、自分もその一助となれたらと切に願っている。

 

彼が旅立たれたばかりの頃、わたくしはユーミンの「ノーサイド」の歌詞をしっかりと固くこの胸に刻み込んだ。
「人々がみんな 立ち去っても 私ここにいるわ」
「人々がみんな あなたを忘れても ここにいるわ」 
これはわたくしが勝手に春馬さんに約束させていただいたこと。
そして、これらの言葉は、彼に日々手を合わせるために部屋に設けた祈りの場所のすぐそばに掲示してある。

 

これからもわたくしはずっとずっと春馬さんを大切に思っていきたいし、そのための活動、所謂(いわゆる)「春活」をこれからひとりででも細々と長く長く続けてゆくつもりだ。
そして、もうひとつの、これまたわたくしが春馬さんに対して勝手にさせていただいた「約束」をいつか必ず果たすのだ。
それまでは決して彼のファンはやめられないし、やめてはいけない、そう固く自分に言い聞かせている。

 

最後に、なぜ、わたくしがここまで彼のことを深く想えるのか、について綴っておきたい。

今も鮮烈に覚えている。
彼が旅立れて丁度ひと月経った2020年8月18日の夕方、その日の仕事を終えて乗っていた JR 琵琶湖線の車内から見上げたあの高い高い空(それは早くも秋の到来を感じさせるものだった)を見上げたときに、わたくしの中に突如生じた熱いものを。

それは、「彼のことだけは絶対過去にしてはならない、これからも。絶対!!」という、突然、体内の深い底から湧き起こって来た強い強い想いだった。

それをこれからもわたくしは大切に胸に抱きつつ、歩ける限り、どこまでもこれからの日々を春馬さんとご一緒に歩いてゆけたらと願ってる。
たとえそれが自己満足と言われてもいい。
なぜなら、ファンであることなんて、所詮、自己満足に過ぎないことだから。

とにかく、わたくしのあたたかな祈りと感謝が春馬さんに日々少しでも届くように。
それこそが「あの日」以来彼の大ファンになったわたくしが出来る唯一のお供養だと心から思っている。
だからこそ、わたくしはこれからも春馬さんと共に日々を生きてゆくのだ。

お空の上にいらっしゃる「春ちゃん」、いつも本当にどうもありがとう。

そして、沢山の素晴らしい貴方のお姿を、作品を、わたくし達に遺してくださって、ありがとうね。
わたくしは今も日々貴方から本当に沢山の尊い贈り物をいただき続けております。
いつか必ず、この恩返しが出来ますように。
それが貴方から沢山の素晴らしい、本当にかけがえのない、大切なものを沢山いただいてきたわたくしが果たすべき役目だと、勝手ながら思っております。