春馬くん、ありがとう! ~三浦春馬さんの足跡から学ぶ~

三浦春馬さんの足跡を辿ることを通じて、人生における大切なことを学んでまいります

今、再び、春馬さんへの想いを綴る

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来月で春馬さんが旅立たれてまる2年になる。今一度、改めて、「表現者」さんとしての春馬さんについて、わたくしなりに思うところのことを書いてみたい。

 

春馬さんが旅立たれてから、彼に対する賞賛の声をネット上でも沢山見かけた。
それは今もわたくし達、彼のファンの間では当然続いていることだが、彼が旅立ってすぐ、そして暫(しばら)くの間は、本当に多くの、同じ業界の方々から、「惜しいひとを亡くした」といったコメントや、「彼は間違いなく日本から世界へと羽ばたいてゆけるだけの人財だった」、といったような言葉が聞かれた。
他にも、俳優や歌手として春馬さんのみならず、彼の人間性の素晴らしさに沢山の方々が言及していたことも、いかにも彼らしい現象だったと今、改めて、ここに思う。

 

わたくしは彼のいちファンに過ぎない。
だから、彼の俳優や歌手としての活動を、ファンとしてではなく、客観的かつ冷静的に見る目を持ち合わせていない。
なぜなら、わたくしにとって彼はーー例えて言うなら、(お母さまには大変失礼ながら、そして、大変僭越ながら)愛すべき息子のような存在であり、これからもずっと彼が遺してくれたものを大切にしてゆきたいと心から思っているので。
そんな人間が彼の仕事に対する客観的な目を持ち合わせているとは到底思えない。
それ以前に、わたくしは芸能関係に詳しいわけでもなく、ましてや、その評論家でもない。
だから、彼が遺してくれた作品や活動の全てに対して、客観的かつ的確な評価は出来ないと自認している。

 

しかし、そうした「マイナス面」を差っ引いても、やはり彼が本当に素晴らしいエンターテイナーのおひとりだったことは、もはや疑うまでもないことだろう。
なぜなら、本当に多くの方々が俳優としての彼を、歌手としての彼を、そして、表現者としての彼を高く評価なさっておられたから。
エンターテイナーとしての彼が素晴らしかったのはここで改めてわたくしが述べるまでもないことであり、また、彼が志向されていたもの、そして、そこに向かうためのとんでもない努力が、到底、常人には及ばないものであったろうことも想像に難くない。


彼はまさに30年の人生を懸命に駆け抜けてゆかれたのだ。
精一杯、一生懸命、自らが持ちうる限りの全てを使って生き切られたのだ。
わたくしは心からそう信じている。
だからこそ、この稀代のエンターテイナーである春馬さんに対して永遠の拍手を送り続けたいと心から、本当に心から、強く強く思う一方なのだ。

 

彼は本当に愛情の深い、優しい優しいひとだったと聞く。
つねにおひとのことを思いやり、自分の周囲の方々が困っておられないか、落ち込んでいらっしゃらないか等、様々にあたたかな心配りが出来るかたであった。


人懐っこくて明るくて、彼の大好きな向日葵(ひまわり)のお花そのもののようなかたでもあった。
その一方、内面はとても繊細で、深く考えてしまう傾向も多々お持ちだったのだろう。

これはあくまでも想像だが、もしかしたら、外でのご自分と、本当のご自分=春馬さんだけが知っておられたご自身とのギャップに行き詰まってしまわれて、あのような選択をされたのかもしれない。

けれど、わたくしの中に今も存在し続けてくださる彼は、いつもあの「三日月のようなお目々」で屈託なく笑う、明るい春馬さんであり、そのお姿こそが彼が本来持つ輝きをわたくし達に見せていてくださったのだと心から信じたい。

だからこそ余計に、彼の最後とされている状況とのギャップに未だくるしまざるを得ないのだ。

 

しかし、何があろうと、どんな経緯がそこにあったにせよ、彼がもうこの世のかたではないことは未来永劫、覆せないことだ。
ここのところ、彼のファンの方々の間においても様々な考えや姿勢があることを改めて思い知ることとなり、彼を想う自分を自由に表現出来てこなかった。

TwitterInstagram でも、彼のファンの方々と出来るだけかかわりを持つことを避けるために拙い英語で文章を綴ってきたりもした。

 

けど、彼を想うファンの方々の中で、たとえ、わたくしとは違う、彼への思いやある種の「義務感」を持っていらっしゃる方々がいらっしゃろうと、結局、皆さま、根底にあるのは彼への思慕の念であり、彼が大好きで、彼のような本当に素晴らしいかたをいつまでも忘れたくない、これからも彼と日々を共に重ねてゆきたいという、切なくもあたたかな、彼への愛情がおありなのだとわたくしは信じたい。
ならば、そこにフォーカスしてゆけばよいのでは? と今、改めて思う。

その他、様々に垣間見える、彼の最期について、報道されている内容をどのようにとらえるか、といった視点の違いや、彼の何の、どこに重きを置いて惹かれるのかという点において違いがあっても、それは致し方ないことなのだ。
なぜなら、ひとは皆、違うのだし、それぞれにそれぞれの在り方で彼を愛しているのだから。


そこに強烈な違和感を感じ、失望さえ感じていたわたくしだったが、でも、皆が皆「三浦春馬さんが好き」という思いだけは変わらないのだから、そこのところにこれからはあたたかな想いを寄せてゆけたら、と思っている。

 

でも、ひとつだけ我儘(わがまま)を言うことをお許しいただけるのなら、たとえ彼がもうこの世にいらっしゃらないのだとしても、彼を想うファンとしての在り方に己のエゴを異常なまでに拡大させるのは、わたくしはやはり違うと思う。

勿論、ファンそれぞれがそれぞれの「枠組み」や「物事の味方、とらまえ方」を持って、彼への思いを抱き、彼のファンとして存在しているのだろうが、そこにあたたかな愛や優しさがなければ、わたくしにはやはりきついものがある。

誰かや何かを恨んだり、批判したり、非難することは、彼の性格からして、きっと喜ぶべきもの・ことではないだろう。
だから、わたくしはこれからもただひたすらに春馬さんを讃え、彼にあたたかな想いを、祈りを送り続けてゆこうと思っている。
それこそがまさに、今もこの世で生きているわたくし達が彼に対して出来る最上のことだと信じて止まない。

 

10代の、まだ本格的に芸能界で活躍される前の彼は、純朴で、おっとりして、穏やかな、本当に「いい少年」だったのだろう。
茨城の自然豊かな環境でお育ちになられた彼があれよあれよという間に芸能界というきらびやかな世界で磨かれ、素晴らしい美形の俳優であり表現者である「三浦春馬さん」に成長してゆかれたことは本当に素晴らしいことだったが、最後まで「茨城の自然豊かな環境で育ったのびのび春ちゃん」が彼の中にもずっと残っていたであろうことは想像に難くない。


だからこそ、彼はいつも本当にどなたにでも優しかったようだし、何よりも、彼の瞳の輝きに、そのひとのよさがいつも表れていた。
だからこそ、わたくしは彼のファンになったのである。

 

今もこうしてーーこの記事を書いているこの瞬間にさえ、彼が生きていてくれた尊くも貴重な30年間の人生がどんどん過去になっていってしまっているが、わたくしは彼のことだけは何があっても後世に語り継いでゆかなければ、と使命感にも似たものを強く感じている。

これもまたひとりの勝手なエゴなのかもしれないが、それせずして、生前の彼に賞賛を送ってこられなかった自分の後悔を少しも減らすことは出来ないと思っている。

 

彼のことを世間さまは、その最期のご状況によって、どうしても「悲劇のひと」として理解してしまいがちなのだろう。
しかし、彼をよく知る方々をはじめ、わたくし達ファンは、あのとんでもなくキュートな笑顔で明るく高らかに笑う彼の姿を嫌と言うほど見てきているし、そんな彼が大好きだ。

だからこそ、彼の素晴らしい人柄や、「崇高」といった言葉さえ匹敵するほどの素晴らしい向上心、人々への深い愛情や思いやり、そして、ものすごい努力の数々、そして、その結果遺された作品の全てをこれからも大切に守り、後世へと語り継いでゆかなければならないとわたくしは強く強く思っているし、自分もその一助となれたらと切に願っている。

 

彼が旅立たれたばかりの頃、わたくしはユーミンの「ノーサイド」の歌詞をしっかりと固くこの胸に刻み込んだ。
「人々がみんな 立ち去っても 私ここにいるわ」
「人々がみんな あなたを忘れても ここにいるわ」 
これはわたくしが勝手に春馬さんに約束させていただいたこと。
そして、これらの言葉は、彼に日々手を合わせるために部屋に設けた祈りの場所のすぐそばに掲示してある。

 

これからもわたくしはずっとずっと春馬さんを大切に思っていきたいし、そのための活動、所謂(いわゆる)「春活」をこれからひとりででも細々と長く長く続けてゆくつもりだ。
そして、もうひとつの、これまたわたくしが春馬さんに対して勝手にさせていただいた「約束」をいつか必ず果たすのだ。
それまでは決して彼のファンはやめられないし、やめてはいけない、そう固く自分に言い聞かせている。

 

最後に、なぜ、わたくしがここまで彼のことを深く想えるのか、について綴っておきたい。

今も鮮烈に覚えている。
彼が旅立れて丁度ひと月経った2020年8月18日の夕方、その日の仕事を終えて乗っていた JR 琵琶湖線の車内から見上げたあの高い高い空(それは早くも秋の到来を感じさせるものだった)を見上げたときに、わたくしの中に突如生じた熱いものを。

それは、「彼のことだけは絶対過去にしてはならない、これからも。絶対!!」という、突然、体内の深い底から湧き起こって来た強い強い想いだった。

それをこれからもわたくしは大切に胸に抱きつつ、歩ける限り、どこまでもこれからの日々を春馬さんとご一緒に歩いてゆけたらと願ってる。
たとえそれが自己満足と言われてもいい。
なぜなら、ファンであることなんて、所詮、自己満足に過ぎないことだから。

とにかく、わたくしのあたたかな祈りと感謝が春馬さんに日々少しでも届くように。
それこそが「あの日」以来彼の大ファンになったわたくしが出来る唯一のお供養だと心から思っている。
だからこそ、わたくしはこれからも春馬さんと共に日々を生きてゆくのだ。

お空の上にいらっしゃる「春ちゃん」、いつも本当にどうもありがとう。

そして、沢山の素晴らしい貴方のお姿を、作品を、わたくし達に遺してくださって、ありがとうね。
わたくしは今も日々貴方から本当に沢山の尊い贈り物をいただき続けております。
いつか必ず、この恩返しが出来ますように。
それが貴方から沢山の素晴らしい、本当にかけがえのない、大切なものを沢山いただいてきたわたくしが果たすべき役目だと、勝手ながら思っております。

あの日、「三浦春馬さん」という御方を初めてちゃんと知ったわたくしがものすごく衝撃を受けたこと

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久々に、「あの日」、そして、「あの日」のすぐ後に自分が書いたものを読み返しておりました。

 

・・・

 

今日はやっと念願の「せかほし」の DVD を拝見したのに、そして、やっとやっと拝見出来る……!! と、拝見するつもりをしていた夜まではものすごくうれしかったのに、いざ、拝見してみたら、確かに番組は変わらず素敵で、 JUJUさん もバイヤーさんも素敵で、構成も内容も本当に素敵で、そして、言うまでもなく春馬くんはものすごくものすごく素敵で、もう心がわーっ!! °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖° てなるくらい(ってどんなだ☆)、とにかく改めて春ちゃんの魅力を存分に感じ過ぎたのだけれど、そこからの落差。

 

そう、改めてこれほどまでに素敵な春ちゃんがどうして今、お空にいらっしゃるの……? となってしまい、久々においおい泣いてしまったのでした。

 

・・・

 

話は戻って。

 

なぜ、今宵、「あの日」や「あの日」のすぐ後に自分が書いたものを読み返していたのかというと、わたくしが「あの日」、春ちゃんのファンになったのは、あちこちに書き込まれた「三浦春馬さん」を知る方々(ファンの方や、ファンでなくとも、俳優・三浦春馬さんを知っていらっしゃる、本当に多くの方々)からの追悼メッセージを拝見していくうちに、春ちゃんがどれほど素晴らしいお人柄でいらしたかを知ったから、でした。

 

当時の記憶をもとに、その内容を書きますとーー、

(もしかして、記憶違いで内容が間違っておりましたなら、申し訳ございません)

 

🌸🐎✨春ちゃんの御本、『日本製』の取材対象となられたかたのご家族とおっしゃるかたは、春ちゃんが、その取材対象となられたかたの思いが形になるよう尽力してくださっていたと書かれ、また、そのご家族のかたとのやり取りも、春ちゃんがマネージャーさんを通さずご自分で直接されていた、と書いていらっしゃいました。

 

🌸🐎✨春ちゃんが中学生さんだった頃、いつも朝の通り道で、ご自分が運転されるお車と徒歩の春ちゃんがすれ違っていた、とおっしゃる御方は、春ちゃんが、そのかたのお車が通りやすいようにいつも脇によけてくださったこと、そして、そのうち、春ちゃんがにこっと挨拶をしてくれるようになった、と書いていらっしゃいました。その後、ドラマ「14才の母」に出ていらした春ちゃんのお姿をご覧になられて、いつも朝出逢っておられた男の子が三浦春馬さんだと知られたそうです。

 

🌸🐎✨また、ある銀行の窓口御担当の女性のかたは、花粉症の季節にマスクをしておられたら、春ちゃんがお客さまとしてご自分が担当されていた窓口にお越しになられて、「風邪、大丈夫ですか?」と気遣ってくださった、と。お客さまとしていらしてくださったのに、相手を思いやる優しい言葉をかけてくださったことが忘れられない、と書いておられました。

 

とにかく、多くの方々が春ちゃんのひととなりの素晴らしさを沢山書いていらっしゃって。わたくしは初めて「若手のかっこいい俳優さんのおひとり」「でも、その佇まいの清らかさには格別のものがある」ということしか存じ上げなかった「三浦春馬さん」が、これほどまでに素晴らしいかただったのか!! と心の底から感動し、それでもう一気に春ちゃんのファンになったのでした。

 

そう、この記事のタイトルにある「ものすごく衝撃を受けた」というのは、今の時代、それもまだまだお若いかたで、こんなにもよく出来たかたがいらっしゃるのか!? とびっくり仰天したわけなのです。

 

他にも春ちゃんの「いいひとエピソード」や、そのものすごい努力家さんぶりに関するエピソードは沢山沢山世に出ていますよね? もうね、春ちゃんを知れば知るほど、ますますその魅力にハマると同時に、おひととしてひたすら尊敬しかない。

 

もっとも、そうは言っても、どこかおっちょこちょいさんでいらしたり、忘れ物をよくなさったり、お茶目さんで、どこか天然さんの部分もお持ちの(それでも、ものすごく素敵な✨)春ちゃんなんですけれどもね♥ またそこが魅力なんです! ほんと、おひととしての魅力が尽きない。あんなかたはそうそういらっしゃいません。

 

なんというか、そんな風にして「お出逢いした」三浦春馬さんは、そういうわけで、もうわたくしの心の中の不動の位置を占められてしまいました。春ちゃんはね、本当にそもう唯一無二のかた、なんです。

 

そうそう、こんなサイトもありましたよね♪

 

 

とにかくね、こんなにもお優しい愛情の深い御方がこの世にいらしてくださった、というだけで、もう、一生分の希望をいただいたようなもの、なんです。春ちゃんのご存在は、わたくしにとって☆彡

 

なので、これからもいつまでもいつまでも春ちゃんのことを大切に想い、心から彼のことをご尊敬申し上げ、彼を包むすべてがいつも「やさしさで溢れるように」、心から、心からお祈りいたします。

 

ほんと、もうね、ものすごい魅力の持ち主さんなんですよ。彼は。本当に!! 姿かたちが見目麗しいというのみならず、内面も本当に素晴らしすぎる。だから、やはりご存命中にひと目でいいからお逢いしたかったです。本当に。それだけが本当に心残りです。

 

でも、もうそれは叶わないから、そのぶん、沢山沢山春ちゃんを想おう、春ちゃんが遺してくださったものに沢山触れ、少しでもその輝きに近づけるよう、日々精進しよう、そう心から思います。

 

それほどまでに三浦春馬さん、春ちゃんは、本当に唯一無二、素晴らしいかたなのです🌸🐎🌻🎥🏄🎤🎶✨ わたくしは春ちゃんがお空に帰られた日に、彼と本当の意味で「お出逢い出来た」わけなのですが、それでも、そんな形ででも、彼というかたのファンになれたことは、本当にかけがえのない、まさに「人生の贈り物」だと心から思っております。

 

春ちゃん、春馬くん、いつも本当にどうもありがとう。これからも貴方から沢山のことを学ばせてくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。どうぞ今日もお空の上でにこにこ笑顔でいてね。貴方がいつもお幸せでありますように……✨

 

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改めまして、このブログを立ち上げた理由につきまして ~春馬さんを「過去のひと」に決してしないために~

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柳楽優弥さんの主演映画「太陽の子」の公開(2021年8月6日)から早やひと月以上経ち、あと10日もすれば(公開から)2か月になります。

 

勿論、ここでわたくしが改めて申し上げるまでもなくーー、映画「太陽の子」では、春ちゃんは主要登場人物のおひとりという位置づけ。

 

それでも、おそらくーー春ちゃんがご出演された映画で最後に公開されるものになるのでしょうから、この映画が公開された後、きっと襲い来るであろう喪失感については、前々から覚悟いたしておりました。

 

・・・

 

けれど、やはりその落ち込みは想像以上で。

 

やっぱりね、ものすごくかなしいし、何よりも、ものすごく寂しい。

 

春ちゃんが突然あのような形で旅立たれた後――、彼が旅立たれたことは、勿論、ものすごくかなしかったし、何よりとてもショックだったけれど、

 

でも、お歌 Night Diver のリリース、

 

ドラマ「太陽の子」( NHKさん )と「カネ恋」( TBSさん の「おカネの切れ目が恋のはじまり」)、

 

そして、大好きな大好きなNHKさんの「せかほし」(「世界はほしいモノにあふれてる」)の放映があったり、

 

BROADWAY MUSICAL Kinky Boots の Tribute Movie が公開されたり、

 

映画「天外者(てんがらもん)」「ブレイブ -群青戦記-」、そして、この8月の「太陽の子」の公開があったから、

 

その度に世間さまでもまたいろいろと春ちゃんのことが話題になって。旅立たれた後も、様々な形で新しい春ちゃんにお出逢い出来るのがとてもうれしかったし、救いになっていました。

 

でも、いよいよ、「太陽の子」が公開された後は、もうそうしたこともない。2022年1月公開予定の映画「コンフィデンスマンJP」の新作で、春ちゃん竹内結子さんが何らかの形で登場してくださることに一縷(いちる)の望みをかけてはいるけれど、でも、まだそれはわからないことですしね。とにかく、自分でも思っていた以上に、改めての「春ちゃんロス」は、自分の中で大きく影を落としていたのでした。

 

・・・

 

わたくしにとって、何がいちばんつらいって、春ちゃんが今、ここにいらっしゃらないことは勿論そうなのだけれど、それと同じくらい、春ちゃんが生きてくださっていた時間がどんどん過去になるのが、もう、本当に耐えられなくて。心がちぎれそうになるというか。それがものすごくつらい。

 

なので、自分なりにちゃんとこれからも春ちゃんのことを想い続けてゆけるようーー、というより、春ちゃんのことを過去にしないために、このブログを立ち上げました!

 

°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

 

・・・

 

わたくしは基本、過去は振り返らないタイプの人間です。そして、常日頃から、世の中の変化には柔軟に対応できる人間でありたいと心がけてまいりました。ですから、自分の中で、どうしても春馬くんが生きていてくださった時間が過去になってゆくことに耐えられなくて。つねに前向きで未来を見て生きてゆきたいわたくしの中で、春ちゃんが生きてくださっていた時間がどんどん過去になってゆくことは、かなり大きな葛藤になっておりました。

「いつまでもお亡くなりになられたかたのことを想い、取り上げてなんになるのか?」、春ちゃんのことをよくご存じでない御方からご覧になられたら、そうおっしゃるのも致し方ないことかとは思います。

 

でも、昨日お命日でいらした五代公春ちゃんの最後の主演映画、「天外者(てんがらもん)」の主人公である五代友厚(ごだい ともあつ)公)がご逝去後136年経った今でも、このかたの生き方を通して、今をどう生きるかを学び、このかたの精神を後世に語り継いでゆこうとなさっておられる方々がいらっしゃることを思いますとき、

 

そうだ、自分もとりあえずひとりででも「春馬学校」での学びを開始しよう!! そう思いました。そうすれば、春ちゃんは「過去のひと」ではなく、「今を生きる、わたくし達のお手本となりうる御方」として、いつまでもこの世に存在し続けてくださるのではないか? と。そう思ったんです。それで、このブログを立ち上げました。

ま、五代公だけでなく、わたくしがいつも頼みとさせていただいているイエス様だって、お亡くなりになられてから2000年近くも経つのに、未だに世界中で多くの方々から信仰されていらっしゃいますからね! はっはっは!(←謎の笑い(;’∀’)) だから、全然いいと思います! あ、勿論、春ちゃんを闇雲に神格化するつもりはありませんけれど……(;’∀’)

 

・・・

ということで、これからもわたくしは春ちゃんを絶対「過去のひと」にはいたしません。前々から申し上げているように、本気で「(仮称)三浦春馬賞」を創設したいと願っているし、自分なりの三浦春馬さん研究を纏めた御本も出したいと考えております。

 

これはもう、自分の事業以外の、もうひとつの事業(非営利の)になっております。わたくしも一応起業家の端くれですから、一度掲げた目標はきちっと達成してまいります。そのためのブログでもあるのです。

 

・・・

 

基本週に一回くらいの、細々とした更新になるかと思いますが、前述の二つの目標が無事達成されるまではとにかく続けてまいりますので、もしよかったらお付き合いくださいませね。

 

長々と失礼いたしました。最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

「春馬学校」の生徒のひとり、内田璃い(りい) 拝

 

 

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" 「このかたのことは一生忘れてはいけない」、それだけは強く強く思った "

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2020年8月18日。初めて「彼の月命日」というものを迎えたわたくしは、とにかく一日中、ものすごく切なかったように記憶している。

 

 

今でもね、この tweet に書いてあるように、ものすごくものすごく強い想い……というより、志といったほうがいいかな、そうした感情を抱いたこと、とてもよく覚えている。とにかくなぜだかわからないけれど、心の底から、それはそれはものすごくはっきりそう思ったの。

 

春馬くんが主要人物のおひとりとしてご出演された、柳楽優弥さんの映画「太陽の子」の公開(2021年8月6日)から早や一ヶ月半が過ぎて。この映画が公開される前、わたくしは " この映画公開以後が春馬くんのファンとして本領発揮すべきとき " みたいなことを tweet していたのだけれど。今も心からそう思ってる。これからが、まさに、春ちゃんのファンとしての本領を発揮すべきときなんだって。

 

ご逝去後も Night Diver のリリース、映画「天外者(てんがらもん)」、「ブレイブ -群青戦記- 」の公開があったから、その度に「春馬くん!!」って心沸き立ってきたし、メディアでも春ちゃんのことが沢山報じられて、そうした世の中の流れが非常に有り難かったし、本当に本当にうれしかった。

 

でも、映画「太陽の子」が公開されてしまったら、もうそれ以後、春馬くんのことで「新しい何か」が追加されることはない、その事実がやっぱりつらくて、くるしくて。特に今年のお盆以後、このお彼岸までの間は、何かとそうしたことでも鬱々としがちだったかなぁ……。

 

自分自身、ご逝去後の一年間はとにかく春ちゃんのことにどっぷりつかろうと決めて、24時間ほぼ全て、外でのお仕事以外の時間はほぼ「春ちゃんごと」に費やしてきた。半世紀近く生きてきて、こんなにも芸能人のかたにハマったことなんて未だかつてなかったし、そもそも日本の芸能界のよしなしごとについては、ここもう何年もあまり興味・関心がなかった。エンタメとして観るものと言えば、ここ15年くらいの間ずっと、韓国のドラマや映画がメインだったし、そんなわたくしだったから、「三浦春馬くん」というお若い俳優さんの、その佇まいのお美しさに感心はしていたけれど、春馬くんのこと、殆ど何も存じ上げなかった。一時期、ダンサーさんとお付き合いされていた、ということを知っていたくらい。そのほかはほんと、全くと言っていいくらい、彼のことは何も知らなかったの。

 

でも、亡くなられる前の日の晩、突然、夢に、それまで見たことのない、とっても可愛い男の子が出てきてくれて。その翌日の夕方4時頃だったかな、わたくしは実業家・三崎優太さんの tweet で、春馬くんのことを知って。あのときは、本当に震えた。それから慌てて彼に関するニュースや人々がものすごい勢いで書き込んでゆかれた数々のコメントをものすごい勢いで読んでいって。その日の夜には、「なんと惜しいかたをなくしたのだろう」と愕然として。そして、彼のファンになったの。彼の優しさ、誠実さ、真面目さ、とにかくお人柄が素晴らしいということにものすごく感動して、それで、もう、即、彼のファンにならざるを得なかった、というのが正しい。

 

そこから全てが始まって。ほどなくして、あの夢に出てきてくれた、とっても可愛らしい男の子は春ちゃんだったんじゃないか? と、はたと気づき。それからーーこんなことを書くと、絶対うさん臭いと思われても仕方がないのだけれどーーわたくしは霊能者だから、春ちゃんのこと、いろいろと目には見えないレヴェルでも感じるようになっていって。それで、なお一層、もう、それはそれはものすごい勢いで「春馬沼」に落ちて行って。

 

それからの日々はもう、全てが本当に「春ちゃん」♪ まるで遠距離恋愛の彼氏がいるかのように、日々の全てに春ちゃんへの想いがあって。空を見上げては語りかけ(怪しい)、「春友(はるとも)さん」(春馬さんのファンの皆さまのことをこう言います)の皆さまが SNS にあげてくださる内容に、毎日、心をときめかせて。

 

当然の如く、昨年の夏に公開された NHKさん のドラマ「太陽の子」は勿論のこと、TBSさん の ドラマ「カネ恋」(「おカネの切れ目が恋のはじまり」)もそれはそれは大切に大切に拝見して。NHKさんの「せかほし」(「世界はほしいモノにあふれてる」)に彼がご出演された最後の数回はもう食い入るように画面をじーっと拝見し。昨年の10月に公開された BROADWAY MUSICAL Kinky Boots の Tribute Movie はこれまた涙々で拝見し。

 

その後、2020年の12月11日、わたくしの誕生日の前日に公開された春ちゃんの最後の主演映画となった「天外者(てんがらもん)」は、翌2021年の3月にやっと大阪・なんばで拝見し。他にも映画「森の学校」、春ちゃんを慕う真剣佑くんが初の単独主演をされた映画「ブレイブ -群青戦記- 」では、春ちゃん演じる元康さまの凛々しさにこれまた涙し。

 

他にも、一年かけて、これまで春ちゃんが演じられたもののほぼ全てをお小さい頃から順に拝見していって。繰り返しになるけれど、とにかく日々の全てが本当に春ちゃん一色で。一時期、ビジネスネームの姓も長年使い慣れたものから「三浦」に変えようかと真剣に悩んだくらい。それくらい、本当に春ちゃんにただただもうハマってしまった。

 

それでも、わたくしは、少しずつ、日々触れる情報、物事なんかがどんどんものすごい勢いで流れてゆくことに耐えられなくなってきていたのだと思う。それまで、こんなにもご逝去された後も尚、日々なんやかやとメディアのニュースで話題に上がるひとがいらしたかしら? というくらい、しょっちゅう、よきにつけ、悪しきにつけ、春ちゃんのことは度々話題にのぼっていたし、その度に、ただただ「三浦春馬」さんというお名前が拝見出来るだけでもうれしかった……というか、救いになってた。今でも時々、まだ彼がこの世にいらっしゃらないことが信じられないときがあるから。人々の間で「三浦春馬」さんというお名前が話題にのぼること、それだけでも本当に有り難いと心の底から思っていたから。

 

歳を重ねれば重ねるほど、時間の流れは早くなる、と言われるように、彼が旅立たれて一年と二カ月、ここまででも、本当にあっという間、だった。これからどんどん時が流れてゆくことが、正直、今のわたくしには耐えられない。いや、勿論、ときは流れてゆくものだし、わたくしには沢山叶えてゆきたい夢があるから、いつまでも「今」が続くのはある意味耐えられないのだけれどね。でも、春馬くんがいらっしゃらない時間がどんどん増えてゆくのは、正直、本当に困る。かなしい。切な過ぎる。止められるものなら、このまま時間を止めたい、そう真剣に願う。彼が生きていてくださった日々がどんどん過去になってゆくのは、ものすごく嫌なの。本当に本当に嫌なの。そんなの、かなし過ぎる。

 

だから、決めました。このブログで、わたくしはわたくしなりに、春馬くんの足跡を辿ってゆこうって。丁度、今日がお命日の五代友厚公が、ご逝去(1885年)後、136年経った今も、彼の精神を後世に引き継ごうと活動していらっしゃる方々がおられるように、春馬くんのことについても、そうしてゆけばいいんだって、前々から思っていて。だから、ご逝去後、この一年間、寝食を惜しんで(?)、日常生活の全てを放り出して、とにかく春馬くんの情報を自分なりに必死に集めてきたから。なので、これからはそうした資料にひとつひとつ当たっていって、春馬くんの人となりを改めて振り返り、今後の人生の糧としてまいりたく存じます。

 

ああ、今、こうしてこの記事を書いていても、やっぱり春馬くんのことを想うとどうしても泣けてきてしまうのですよね。でも、彼のことを想って泣くのは、彼もあまりうれしくないだろうと思うから。それよりも、彼を讃え、彼がのこしてくださったものを大切にし、そこから学べるもの・ことや、得られるもの・ことを人生の糧とし、それこそ今も五代公をお慕いになっておられる皆さまのように、春馬くんの精神を引き継いで、後世へと伝えようとしてゆくところにこそ、春馬くんが心の底から喜んでくださるような気がするから。

 

それに、わたくしは、彼の後に続こうとなさるお若い方々を表彰するような賞をつくりたいとずっと願い続けているし。彼について学んだことを自分なりにまとめた御本もいつか出せたらと思っている。だから、その日まで、とにかくこのブログは続けてゆきます。賞と御本のことは絶対実現させたいから。そのためにも、自分の本業を頑張らないといけないのだけれど。でも、本業と同じくらい、春ちゃんのことはやっぱりわたくしにとって、ものすごくものすごく大事なことだから。「執着」と言われようが、「現実逃避」と言われようが、とにかく、絶対、この二つのことは実現させると春ちゃんに勝手にお約束したので、ハイ、実現させます。それまで、このブログは必ず続けてまいります。

 

ということで、今日はこのブログの記念すべき一つ目の記事。あぁ、やっぱり泣いてしまったなぁ。春馬くんは本当にかけがえのない、本当に素晴らしいひと。彼の精神を後世に伝え続けてゆけるよう、生涯かけて、出来る限りのことはしてまいりたく存じます。

 

※このお歌のコーラスの美しさが、どことなく春馬くんの佇まいの美しさに通じるような気がして♪

 

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